2000-03-23 第147回国会 参議院 経済・産業委員会 第6号
それが、平成九年三月、我が国最大の炭鉱でございます三井三池鉱が閉山になりまして、福岡県に炭鉱が全くなくなったわけでございます。 かつて全国的に約九百を超す、恐らく千弱の炭鉱があっただろう、このように思っております。
それが、平成九年三月、我が国最大の炭鉱でございます三井三池鉱が閉山になりまして、福岡県に炭鉱が全くなくなったわけでございます。 かつて全国的に約九百を超す、恐らく千弱の炭鉱があっただろう、このように思っております。
○麻生参考人 福岡県の場合には、残念ながら、三井三池鉱がもう二年前に閉山をしてしまいまして、稼行炭鉱が一つもないという状況でございます。
一部報道によりますと、来年度の国内炭の引き取り量に三井三池鉱の貯炭分を含める条件として、一つ、国の石炭政策が続く二〇〇一年度までさらに炭価を下げる、二つ目、二〇〇二年度以降の価格を輸入炭並みにすることを強く要望していくという、いわゆる電力業界の、電力サイドの姿勢がうかがわれる。
昨年の暮れに、私は三井三池鉱に入坑してまいりました。これは私にとっては二度目で、幾つか炭坑に入りましたが、本当にスケールの大きいすばらしい炭鉱だ、こう改めて去年の暮れも痛感しました。それが閉山したことが残念でなりません。
最後に、三井三池鉱が三十日に閉山になりまして、そのことを質問しようと思ったのですけれども、時間がありませんので別の機会にしたいと思っておりますけれども、地元の新聞では連日のように、これからどうなるんだろうという不安が渦を巻いています。
冒頭、三井三池鉱の問題について御質問させていただいた次第でございますが、福岡県におきましては、実はこの大牟田市は今般のこの法案の前にございました中小企業集積活性化法の指定を受けた地域であるわけでございます。そういう面では、福岡県におきましてはすぐ近く、お隣の大川市とか、また先ほどちょっと申しました北九州市とか筑後市とかがその認定になっておるわけでございます。
本日は三月二十七日でございますが、御存じのように、私の地元福岡県の大牟田市に本拠を持っております三井三池鉱が本月の三十日に閉山する運びとなっておるわけでございます。官業の時代から百二十数年間、まさに日本の産業を支えてまいりました石炭産業、そしてその中の非常に象徴的な山でございました三井鉱がこのような形で閉山になるわけでございます。
○木庭健太郎君 斎藤先生の格調の高いお話の後に、私は個別の問題でお話をしようと思いまして、きょうは三井三池鉱閉山問題に関する問題でお尋ねをするつもりでございます。経企庁長官には質問の用意を余りしておりませんので、もしお休みになりたければどうぞ少しお休みいただいても結構でございます。
去る二月十七日に三井三池鉱が閉山を提案をいたしました。先ほど古賀正浩委員が若干質問されましたけれども、まさに百二十四年にわたる長い歴史が三月三十日をもって閉じられようとしています。 まさに今、梅の季節から、三月三十日、桜がつぼみを始めるころになりますけれども、まさに花を見る間もなく、地元の方々はこれからどうなるんだろうという大きな不安の中で今生活をしておられるというふうに考えています。
○松本(龍)委員 今、坑口の閉鎖ということが条件であるというふうに言われましたけれども、三井三池鉱の場合は十九本の坑口があるというふうに聞いておりますし、また坑内のたまった地下水等々をポンプアップをしなければならない、長期間にわたってそういう作業があるとされています。
福岡県の選出ですので大臣とは同じ地域で頑張らせていただいておりますけれども、きょうはそういう関係もありまして、三井三池鉱の閉山の話から質問をさせていただきたいと思います。 言うまでもなく、去る二月十七日に三井三池鉱山が閉山となりました。
しかも、三井三池鉱といい、北炭夕張鉱といい、日鉄伊王島鉱といわれるこれらの炭鉱は、すべて大手炭鉱の優良ビルド鉱であります。それにもかかわらず大災害を発生させたその原因について、私たちは、今度こそ絶対に目をおおってはならないと思うのであります。(拍手) 総理も御承知のとおり、昭和三十年から始まった本格的な炭鉱合理化はすでに十年の歴史を見ております。
○石原国務大臣 今回、三井三池鉱におきまして二度にわたっていろいろの事件が起こり、負傷者を出しておることはまことに遺憾でございます。私も昨日、現地の九州管区局長に連絡をとりまして、今御指摘になりましたようなこの暴力、暴行というようなことに対しましては、相手が何であろうと徹底的に取り締まらなければならぬ。